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『地元民も知らない泉北の南北朝城跡 〜堺市編〜』
●概要 ・社名:美多彌《みたみ》神社 ・創建年:不明 ・領主:和泉和田《みきた》氏 ●所在地 ・大阪府堺... ●概要 ・社名:美多彌《みたみ》神社 ・創建年:不明 ・領主:和泉和田《みきた》氏 ●所在地 ・大阪府堺市南区鴨谷台1丁49−1 ・海抜:84m ・形態:丘城 ・立地:泉北(光明池《こうみょういけ》)丘陵/和田《みきた》谷 ・近隣河川:和田《わだ》川 増水する川をよそ目に、自転車を飛ばす。 堺市内の城跡であれば、自宅から自転車で行くことが多い。 電車で城跡の最寄駅まで行ったところで、長い道程を歩く結果になるので、到底ママチャリで行くような距離ではなくても、私は駆ける。 美多彌《みたみ》神社。 ここは、この地域を治めていた、和田《みきた》氏という氏族の祖霊を祀った神社である。 昔は、この辺りは「和田《みきた》郷」と呼ばれており、今でも「栂《とが》・美木多《みきた》」という駅名が残る。 まあまあキツい階段。 和田を「みきた」と読むこと自体が驚きだが、古代は「にぎた」と呼ばれていたらしい。 南北