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サブ・カルチャーが力(power)をもつこと、教養のはなし
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浅田彰のWikipediaページを読んでいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0 長... 浅田彰のWikipediaページを読んでいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0 長いけど引用。 人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティックな工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物的スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティッ