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「弱い生」に宿る革命可能性ーー『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』|高島鈴|辺境のブックス・レビュー|BOLD
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「弱い生」に宿る革命可能性ーー『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』|高島鈴|辺境のブックス・レビュー|BOLD
文子はかっこよくて羨ましい。でも文子みたいになりたいと言ってしまうと負けた気になるから、絶対に言... 文子はかっこよくて羨ましい。でも文子みたいになりたいと言ってしまうと負けた気になるから、絶対に言わない。 金子文子の手記「何が私をこうさせたか」に獄中歌集と調書を加えて編纂された『金子文子 わたしはわたし自身を生きる』(鈴木裕子編、梨の木舎)について、私はすでに一度書評をしたことがある。冒頭の文章はその末尾を抜粋したものだ。23歳、つまり文子の享年と同じ歳の頃であった。 あれからすでに3度、文子より長く生きてしまった、と思いながら誕生日を数えている。公権力に対する敵意、天皇制に対する殺意を最期まで研磨し続けた若い人は、永遠に若いまま私から遠ざかる。 金子文子は20世紀初頭を生きた活動家だ。無戸籍児として生まれ、壮絶な虐待経験のなかで育った。やがて東京へ出て苦学生となると、虚無主義者(ニヒリスト)として社会運動の波に身を投じる。のちに公私にまたがる伴侶となる朝鮮半島出身の虚無主義者・朴烈と出