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第100回旅行は、インドの軽井沢シムラー | 日本企業駐在員 インド人化計画
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第100回旅行は、インドの軽井沢シムラー | 日本企業駐在員 インド人化計画
インド国内も、今回で100箇所目。 今回は、英国植民地時代の避暑地として高名なシムラー(Shimla)。 暑い... インド国内も、今回で100箇所目。 今回は、英国植民地時代の避暑地として高名なシムラー(Shimla)。 暑い夏を凌ぐ夏季限定の都 1814~16年のゴルカ戦争(ネパールと英国の戦争、詳細はコチラ参照)ののち、英国はこのシムラー丘陵地帯の存在を知るようになった。 当時、英領インドの首都はコルカタにあったが、標高2,130mで夏季に程良い気温を保持するシムラーを、英領インドは夏季の首都に定めた(1864年)。 コルカタあるいはデリーからシムラーまでのにもつの大量輸送は困難を極めたが、それも1903年にシムラー~カールカ(Kalka、シムラーから100km)間、1906年にカールカ~デリー間で鉄道が開通すると解消された。 この2路線は現在も現役で、、前者はトイ・トレイン(狭軌の登山鉄道、同タイプのダージリン・ヒマラヤ鉄道は世界遺産登録されている)、後者はカールカ・シャタブディ特急が毎日運行され