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夏目漱石旧居跡(千駄木) - 東京さまよい記
前回の根津裏門坂上の交差点(日本医大前)を坂下から進んで右折し、ちょっと北へ歩くと、一枚目の写真... 前回の根津裏門坂上の交差点(日本医大前)を坂下から進んで右折し、ちょっと北へ歩くと、一枚目の写真のように左側(西)に夏目漱石旧居跡がある。二枚目の写真のように、石碑と説明板が立っている(その内容は下二、三枚目の写真のとおり)。 前回の根津裏門坂の標識にも「坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に、夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。『我輩は猫である』を書き、一躍文壇に出た記念すべき所である。」と紹介されている。 漱石は、明治33年(1900)英国へ留学し、明治36年(1903)1月に帰国した。漱石夫人の「漱石の思い出」には、帰国のことは家族に知らされなかったが、当時、神戸入港などの汽船で帰朝する人々の一覧が新聞に載ったようで、その中に夏目の名を見つけた人がいて、それで知ったとある。 帰国したとき、家族は夫人の実家(牛込区矢来町)のちっぽけな離れに住んでいたので、漱石は毎