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【書評】植村邦彦『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性――世界システムの思想史』(平凡社、2016年) - かわたれどきの頁繰り (小野寺秀也)
それともご存じかしら? わたしは自分がほんとうは人間ではなくて、なにかの鳥か動物かが出来損ないの... それともご存じかしら? わたしは自分がほんとうは人間ではなくて、なにかの鳥か動物かが出来損ないの人間の姿をとっているのじゃないかと、感じることがよくあるのです。心のうちでは、ここのようなささやかな庭とか、マルハナバチにかこまれて野原にいるときのほうが、はるかに自分の本来の居場所にいる気がする――党大会なんかに出ているときよりも。あなたになら、なにを言っても大丈夫ですね、すぐさまそこに社会主義への裏切りを嗅ぎつけたりなさいませんものね。にもかかわらずわたしは、あなたも知るとおり、自分の持ち場で死にたいと願っています。市街戦で、あるいは監獄で。けれども心のいちばん奥底でのわたしは、「同志」たちよりずっとシジュウカラたちの仲間なのです。 ローザ・ルクセンブルグ『獄中からの手紙――ゾフィー・リープクネヒトへ』 [1] 闘いの先頭に立つ女性を敬愛する気持ちを込めて「ジャンヌ・ダルク」と呼称する例はし
2020/12/27 リンク