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四日市祭り その9 今昔話⑥ - 花の四日市スワマエ商店街
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四日市祭り その9 今昔話⑥ - 花の四日市スワマエ商店街
前回掲載した南町のからくり山車は“年によって変わった”とあり、“旧四日市を語る”の第9集で、竹野さん... 前回掲載した南町のからくり山車は“年によって変わった”とあり、“旧四日市を語る”の第9集で、竹野さんがこのことを話してみえました。 竹野新衛氏「南町の練りは、明治時代に浦島太郎・天岩戸・大蛇退治と3回変わっています。印象に残るのは“浦島太郎”で、三体の人形が立ち、真ん中の人形が三番叟を踊ってひっくり返ると袴が左右に開いて海辺の景色になり浦島太郎が出てきました。そして、玉手箱を開けると煙が出る(この煙はたばこでした)。すると、浦島太郎の胸元が開いておじいさんになるという趣向でした。私は、昭和9年の小学3年の頃に練り引きに出ました。年によって岩戸山になったり大蛇退治だったりしましたが、大蛇退治が最後だったと記憶しています。ほとんどのお囃子は練りの中で演奏されたましが、北町と南町は、芸子衆が“底抜けやかた(枠の中でお囃子をしながら歩いて進んだ)”で練りについたので、芸子さんを見ようとみんなが集ま