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たとえ明日、世界が終わりになろうとも、 私は、リンゴの木を植える (マルティン・ルター) マルティ... たとえ明日、世界が終わりになろうとも、 私は、リンゴの木を植える (マルティン・ルター) マルティン・ルター(1483-1546)は、ドイツの神学者、牧師で、宗教改革の中心人物です。 明日、世界が終わりになってしまうということは、今日、リンゴの木を植えても実りを得ることは出来ません。リンゴの木自体もなくなってしまいます。それどころか、その人のそれまでの蓄財も業績も、記憶さえも、一切が無くなってしまいます。 あるいは人類の歴史でさえ、失われてしまうのです。人間という種が存在していたこと自体も忘されてしまうのです。全てが無に帰するわけです。全ての存在が失われる訳ですから、今日一日を刹那的に、享楽的に生きるのが普通かもしれません。それなのに、それなのにルターは、今日、リンゴの木を植えようと言うのです。 私には、このルターのことばが気を衒ったものでないことは理解できます。ヤケクソで言っているわけで