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朝鮮飴売りの正体/飴と飴売りの文化史(牛嶋英俊) - 見もの・読みもの日記
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朝鮮飴売りの正体/飴と飴売りの文化史(牛嶋英俊) - 見もの・読みもの日記
○牛嶋英俊『飴と飴売りの文化史』 弦書房 2009.5 「飴売り」に関しては、年来、いくつか疑問に思って... ○牛嶋英俊『飴と飴売りの文化史』 弦書房 2009.5 「飴売り」に関しては、年来、いくつか疑問に思っていたことがあった。朝鮮及び唐人飴売りのことだ。たまたま書店で本書を見て、私の疑問を解決してくれそうだったので、すぐ買ってしまった。 さて、本書で取り扱う飴とは「米・粟を主とする穀類や芋などデンプンをふくむ材料を、糖化酵素によって糖化させた食品」をいう。本来、砂糖は含まない。なんと日本書記の神武紀には「水無しに飴(たがね)を造らむ」という記事があり、天平9年の但馬国正税帳(正倉院文書)には読経供養料として「阿米(あめ)」をつくるための米が支給された記録がある。すごい! そんなに古いのか。平安京の西市で飴が「売られていた」という記録もあるそうだ。 平安時代、宮中では生薬の「地黄煎(じおうせん)」を飴で練って服用する習慣があった。やがて地黄煎の入らない水飴も「地黄煎(飴)」と呼ぶようになり、訛