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恭賀新年 (正月あけ4日の午後と、それから夜に、何度か加筆しました) - ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ(31DEC14まで/新ブログshiaoyama.comに移転済み)
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恭賀新年 (正月あけ4日の午後と、それから夜に、何度か加筆しました) - ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ(31DEC14まで/新ブログshiaoyama.comに移転済み)
みなさん、明けましておめでとうございます。 …何がめでたいのかなぁという声も、ときどき聞きますね。 ... みなさん、明けましておめでとうございます。 …何がめでたいのかなぁという声も、ときどき聞きますね。 その声はよく分かります。 「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」 一休さんこと一休宗純師が、室町時代にもう、こうして軽く皮肉っているぐらいですから。 一方で、この頃ぼくは、こう思うのです。 一年という短いあいだに、若いひとも老いたひとも、ほんとうは、ずいぶんと亡くなる。 自分や、自分の身の周りは無事でも、すこし視野を広くすると命は簡単に、驚くほどあっさりと失われている。 あるひとが、年齢や立場などは関係なく、どうにか一年を生き切って新しい年を迎えたのならば、もしも仮にその新年の最初のうちに世を去るとしても、やはり、めでたいことなのではないか、と。 ある一年を、丸々フルに生き切る、それは実は奇跡なのだろう、と。 ▼昨年は、この地味いっぽうのブログを尋ねていただき、ありがとう