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「いのちは大切だ」ではなく「あなたが大切だ」と言う:田中淳子の”大人の学び”支援隊!:オルタナティブ・ブログ
どんなに天邪鬼な人にだってきっと「承認欲求」はあるはず。たとえ、口に出さなくても。自覚していなく... どんなに天邪鬼な人にだってきっと「承認欲求」はあるはず。たとえ、口に出さなくても。自覚していなくても。 自分の行為、自分の発言、自分の成果。それらを認めて欲しい。Facebookで言えば、「いいね!」と言って欲しいという感じ。それが承認欲求だと思う。 究極の承認は、自分の存在そのものに対して与えられるもの、ではないだろうか。 先日、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)を読んだら、こういう一節があった。 「よく、命は大切だ、という言い方をするし、多くの人がそんな風に言うけれど、”命は大切だ”という客観的な言い方ではなくて、”あなたが大切だ”と言ってほしい。”あなたが大切だ”と言ってもらえたら、それだけで生きていける」 (←こんな感じのことが書いてあった。) ああ、確かにそうだなあ。 一般論としての「いのちは大事」はわかるけれど、もっと嬉しいのは「私が大事」と誰かが言ってくれる
2012/07/11 リンク