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『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』吉原真里(アルテスパブリッシング) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?──人種・ジェンダー・文化資本』吉原真里(アルテスパブリッシング) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
→紀伊國屋ウェブストアで購入 アジア人にとって、西洋音楽であるクラシック音楽は特異なものではない。... →紀伊國屋ウェブストアで購入 アジア人にとって、西洋音楽であるクラシック音楽は特異なものではない。日本の環境もそうであるように、若者は西洋音楽の中で生まれ、育ち、教育される。彼らにとっての音楽は西洋音楽なのだ。そうした環境の中、音楽にのめりこみ、もっと上手になりたい、と願う者が出現するのは当然だろう。そのためにクラシック音楽の生まれ故郷であるヨーロッパ、あるいは“西洋人の国”であるアメリカその他の国々に留学することには、それなりのメリットがある。ただしその実現には才能とともに経済力も必要で、かつては日本、その後に台湾、韓国、そして近年では中国から数多くの留学生が渡航するようになっている。それと並行してシンガポールをはじめとする東南アジア地域でも、クラシック音楽の勢いは以前にも増して強まっているように見受けられる。 こうした教育を享受するためには、家族のサポートが欠かせない。専門職としてのス