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後白河法皇はどこまで老獪な政治家か?頼朝に「日本一の大天狗」と称された生涯
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後白河法皇はどこまで老獪な政治家か?頼朝に「日本一の大天狗」と称された生涯
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、鎌倉武士たちを混乱させた老獪な政治家と言えば? 最も印象的だったのは... 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、鎌倉武士たちを混乱させた老獪な政治家と言えば? 最も印象的だったのは、やはり西田敏行さんが演じた後白河法皇でしょう。 平家(平清盛)の力を削ぐため源氏の挙兵を促したかと思ったら、木曽義仲を途中で見捨てたり。 いざ平家が滅亡したら頼朝と義経を対立させようとしたり。 とにかく悪だくみばかりで、しかもそれが首尾よく運んだり運ばなかったりで、見ている方もヒヤヒヤさせられる――。 あまりに腹に据えかねたのでしょう。劇中では、源頼朝に「日本一の大天狗」とまで言われましたが、実際にそこまで言われたのか? 本稿では、建久3年(1192年)3月13日が命日である、史実の後白河法皇を振り返ってみたいと思います。 父は鳥羽上皇 母は藤原璋子後白河法皇は大治二年(1127年)9月11日、鳥羽上皇と中宮・藤原璋子(しょうし)の第四皇子として生まれました。 最初の呼び名は雅仁親王(まさ