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弓の腕は百発百中!女武者・板額御前は鎌倉幕府に捕らえられ その後どうなった?
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弓の腕は百発百中!女武者・板額御前は鎌倉幕府に捕らえられ その後どうなった?
新潟県胎内市の駅前に、大鎧姿の武将の銅像が建っている。 手をかざし、遥か彼方の櫛形山脈(くしがたさ... 新潟県胎内市の駅前に、大鎧姿の武将の銅像が建っている。 手をかざし、遥か彼方の櫛形山脈(くしがたさんみゃく)へ眼差しを向けている武将の姿は、妙齢の美しい女性。 巴御前、静御前と並び「日本三大御前」の一人に数えられたその名を板額御前(はんがくごぜん)という。 今から800年前、銅像の眼差しの先にある鳥坂城址において、鎌倉幕府が派兵した追討軍と激戦を展開した勇婦だ。 「女性の身たりといえども百発百中の芸ほとんど父兄に越ゆるなり」と『吾妻鑑』の編纂者は畏敬の念を込めて記している。 当時の武士にとって最大の武器は弓矢であるが、板額の射芸は男にも勝ると絶賛。 彼女はなぜ、鎌倉幕府を向こうに回して戦ったのだろうか。 建仁元年(1201年)6月29日は、最終的に鎌倉幕府の捕虜となった板額御前が甲斐の浅利義遠(よしとう)に妻として引き取られた日――。 本稿は小説『女武将 板額』(→amazon)の著者・島