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通産官僚たちの自動車政策(2)佐橋滋vs.本田宗一郎 - Culture Vulture
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通産官僚たちの自動車政策(2)佐橋滋vs.本田宗一郎 - Culture Vulture
(承前) 1960年、ときの岸信介内閣(ちなみに岸は戦前、通産省の前身である商工省の官僚時代に、自動車... (承前) 1960年、ときの岸信介内閣(ちなみに岸は戦前、通産省の前身である商工省の官僚時代に、自動車の国産化を促すべく法整備*1を手がけているのだが、その話はここでは省く)が「貿易・為替の自由化」に踏み切って以降、通産省は政府の基本方針に沿って計画づくりを進めていた。 通産省内において、日本の自動車産業、とりわけ乗用車生産に関しては、自由化が実施化され外国車の輸入制限が撤廃されればたちまち立ち行かなくなるだろうという悲観論が大勢を占め、その対策として「専門生産体制の確立」なる構想が持ち上がる。 この構想は、国内自動車メーカー8社を「(1)普通乗用車、(2)高級車、スポーツカー、ディーゼル車、電気自動車などの特殊乗用車、(3)軽自動車」の3つのグループに分けて、各グループが特色を生かした生産体制をとる、というものだった。そのためには、各社が生産の重点を上記3つのうちどれか1つに絞り込み、ほ