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コーマック・マッカーシーの国境三部作完結編『平原の町』の再読に向けたメモ
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コーマック・マッカーシーの国境三部作完結編『平原の町』の再読に向けたメモ
われわれが出来事をつなぎ合わせて物語を作り上げその物語がわれわれ自身の本質となる。これが人と世界... われわれが出来事をつなぎ合わせて物語を作り上げその物語がわれわれ自身の本質となる。これが人と世界のつながり方だ。人が自分について世界が見る夢から逃れたときこのことが罰ともなり褒美ともなる。 終盤でビリーが聞かされるこのセリフこそが、エッセンスになる。各人は自分の人生を物語る吟遊詩人のようなものだ。そして聞き手がいる限り、物語は生き続ける。 もう一つ。以下は著者コーマック・マッカーシーがインタビューに応じて答えたものだが、彼のあらゆる作品の通底音となっている。 流血のない世界などない。人類は進歩しうる、みんなが仲良く暮らすことは可能だ、というのは本当に危険な考え方だと思う。こういう考え方に毒されている人たちは自分の魂と自由を簡単に捨ててしまう人たちだ。そういう願望は人を奴隷にし、空虚な存在にしてしまうだろう。 野生動物に流れている血が人間の内にも流れていることを実感させ、人間の残虐性を剥き出