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「わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の」 二条院讃岐 源頼政の娘 源平衝突前夜の歌人 - 安心感の研究 by 暖淡堂
百人一首第92番目の歌の作者は二条院讃岐にじょういんのさぬきです。 源頼政の娘。 源頼政は、平家政権... 百人一首第92番目の歌の作者は二条院讃岐にじょういんのさぬきです。 源頼政の娘。 源頼政は、平家政権下で存在感を示し続けた人でしたが、以仁王の挙兵に合流し、戦死しました。 今回は二条院讃岐について紹介します。 二条院讃岐とは 生没年が不詳ですが、二条天皇即位(1158年)の時に内裏女房として仕えました。 二条天皇は1165年に崩御。 その後、1190年、後鳥羽院の中宮宜秋門院任子に再出仕しています。 内裏の和歌会でその才能が高く評価された人でした。 百人一首に選ばれた歌は、沖の海底にある石のイメージと、自分の衣の袖を結びつけたもの。 引き潮の時に、海面よりも上に現れる石であれば乾くこともあります。 しかし、引き潮のときにさえ顔を見せない石であれば、乾く瞬間もありません。 そのくらいに、ずっと涙で濡れ続けているのです。 そういう意味ですね。 このイメージの飛躍は、現代の私たちも多く学ぶべきと
2024/05/28 リンク