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大阪・日本橋を見続けてきた東洋一の百貨店建築をレポート 高島屋東別館 大阪大空襲で日本橋の人たちの避難場所に: 日本橋(NIPPOMBASHI)経済新聞
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日本橋電気街に関連したニュースをお伝えする情報サイトです。 「日本橋( NIPPOMBASHI )経済新聞」は... 日本橋電気街に関連したニュースをお伝えする情報サイトです。 「日本橋( NIPPOMBASHI )経済新聞」は 略して”バシ経”。 ◆日本橋でんでんタウンのランドマークのひとつでもある高島屋東別館(大阪市浪速区日本橋3丁目)は、昭和初期の外観を残す東洋一の百貨店建築と言われている。電気街が誕生する以前、まだ東京・神田と並び称されるぐらいの古書店街であった1937(昭和12)年に、その建物は完成している。当時の所有者は松坂屋大阪店であったが、戦後、66年に閉店してからは高島屋が使用している。太平洋戦争中には屋上に高射砲が設置され、来襲する米軍機に応戦している。「松坂屋50年史」によると、45(昭和20)年3月21日の大阪大空襲の際、建物の地下には、家屋を焼失した近隣の避難者約1000人を収容したともいう。当然に建物も発火したが、当直者たちの尽力によって消火され、歴史的建物は焼失を免れ、現在に