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笹の葉ラプソディ。ハルヒの笹の葉ラプソディ最後、長門と古泉とキョンの話の解釈について。 - 今まで自分が「こんな感じの意味だろ... - Yahoo!知恵袋
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笹の葉ラプソディ。ハルヒの笹の葉ラプソディ最後、長門と古泉とキョンの話の解釈について。 - 今まで自分が「こんな感じの意味だろ... - Yahoo!知恵袋
笹の葉ラプソディ。 ハルヒの笹の葉ラプソディ最後、長門と古泉とキョンの話の解釈について。 今まで自... 笹の葉ラプソディ。 ハルヒの笹の葉ラプソディ最後、長門と古泉とキョンの話の解釈について。 今まで自分が「こんな感じの意味だろう」となんとなくしてた解釈が、再放送に乗じて原作を読み返してたら自信無くなってきたので質問です。><(ごめんなさい無駄に長いです) 私の今までしてた解釈。↓↓ まず、長門の言葉「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できないから」。 これって、簡単に言えば「『○○が存在する事の証明』は出来るけど、『○○が存在しない事の証明』は100%完璧な証明は出来ない」って事………ですよね? 「存在の証明」は実物を提示すれば足りるけれど、「存在しないの証明」は存在する可能性を0にしなきゃいけない…でもそんなのは限が無いし、不可能。 だから『矛盾が存在しない事の証明』は出来ない。けれど現状、矛盾が存在する根拠が1つも無いから『矛盾が存在しない可能性が非常に高い』と言える。