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一言メモ: 「官邸の人事介入」がなぜいかがわしく感じられるのか?
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一言メモ: 「官邸の人事介入」がなぜいかがわしく感じられるのか?
「官邸の人事介入」という言葉がよく使われる。 小生が小役人をしていた頃は、こんな言葉はなかった。な... 「官邸の人事介入」という言葉がよく使われる。 小生が小役人をしていた頃は、こんな言葉はなかった。なぜなら、各省庁の事務次官以下の人事はその省庁の大臣に任命権があり、総理大臣であっても省庁内部の官僚人事について直接に人事権を行使することはできなかったからだ。 史上有名な「ロッキード裁判」において当時の総理大臣である田中角栄が運輸省の業務を指揮する「職務権限」があったかどうかが争われたが、人事権もまたほぼ同様の図式であった。総理大臣が、自ら評価する官僚を事務次官に登用したいと考えても、直接にその事務次官を任命する権限はなかった。権限はなかったのだが、閣僚に対する任免権を通して、間接的に官僚の人事に介入することは可能であった。実際、以前の体制においても例えば田中派に近い大蔵官僚と福田派に近い大蔵官僚が事務次官の座をめぐって熾烈な代理戦争をしたことがある。 これが「政治」というものであるが、この政