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街中での「募金」を躊躇してしまうようになった件 | ひとぅブログ
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街中での「募金」を躊躇してしまうようになった件 | ひとぅブログ
街を歩いていると募金箱を持った気のよさそうなおばさんが立っていました。 「恵まれない○○の子どもたち... 街を歩いていると募金箱を持った気のよさそうなおばさんが立っていました。 「恵まれない○○の子どもたちのために、愛の募金を、お願いします!」 と大きな声で切実な声で訴えるように。心に響きます。 いつもの私ならば「豊かな国、日本にたまたま生まれ、そしてたまたま普通の家庭に生まれ、今はたまたま運良く職にも就けて、健康でもある。」とありがたさを実感し、10円でも100円でも募金をしていたものです。 しかしこの時は、募金をせずに前を通り過ぎてしまいました。いつもなら心を痛めるとまでは行かなくても、募金をしなかったことがちょっとだけ気になってしまいましたが、今回はそんな気持ちはありませんでした。 それはなぜか? 言い悪いは別にして、「募金」の数があまりにも増えすぎた。という事。そしてそれらの一部に悪意を持ったものが含まれてしまっている事です。この事を気づいた途端、いろんな事を思うようになりました。 ■