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その天才集団は、『いついなくなってもいいようなねこ』のような名前を付けた - 「何かを忘れた気がするけれど
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その天才集団は、『いついなくなってもいいようなねこ』のような名前を付けた - 「何かを忘れた気がするけれど
つい先日、赤身マグ朗と共に僕は話したのですが、日本で正当な評価を受けられなかった2大バンドは、ブ... つい先日、赤身マグ朗と共に僕は話したのですが、日本で正当な評価を受けられなかった2大バンドは、ブルーハーツとたまだったと僕は語りました。ブルハはもっともっと上の伝説にならなければいけなかったけれど、日本には既にそういう存在が求められていなかった。カリスマが必要ではなかった。むしろ享楽的に人々が求めていたのは、見た目が奇異な一発屋だった。 当時のインタビューなどを交えた本に、こんな記載があるようです。 たまの悲劇。 日本歌謡史に、そう呼ぶしかない現象が起きたのは、昭和が平成に変わった年のことである。 それは、芸術家として音楽をやろうとした四人の青年が、世間によって見世物にされるという珍事だった。 また、こんな話もあります。 当時『週刊明星』のインタヴューにおいて、ヴォーカルの知久寿焼は、 「百人のうち三人がボクたちの音楽が本当に好きで、あとの九十七人が“そんなに言うならちょっと聴いてみよう”