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伊達政宗 - Wikipedia
永禄10年8月3日(1567年9月5日)[1]、出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗(てるむね)と、正室... 永禄10年8月3日(1567年9月5日)[1]、出羽国米沢城で、伊達氏第16代当主・伊達輝宗(てるむね)と、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男として生まれた。幼名は御幣(梵天丸)[6]。生誕地は通説では米沢城であるが館山城とする学説もある[7]。 天正5年(1577年)11月15日、元服して伊達藤次郎政宗と名付けられる。諱の「政宗」は父・輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するため藤次郎政宗と呼ぶことも多い。梵天丸はこの諱を固辞したが、父・輝宗より強いて命ぜられた。史料上にも正宗と書かれたものがいくつかあるが、これは誤記や区別のための書き違えである。伊達家はそれまで足利将軍からの一字拝領を慣習としてきたが[注 1]、政宗の元服に際しては、当時織田信長によって京より追放されていた足利義昭からの一字拝
2020/01/10 リンク