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佐藤天彦 - Wikipedia
1998年、小学5年生の時に小学生将棋名人戦西大会で糸谷哲郎に敗れ、ベスト16。その年の9月に6級で関西奨... 1998年、小学5年生の時に小学生将棋名人戦西大会で糸谷哲郎に敗れ、ベスト16。その年の9月に6級で関西奨励会入り。中学校卒業を機に上京し[1]、千葉県の東京学館浦安高等学校を卒業[2]。 2001年に初段、2002年からプロ入りに一歩手前の三段リーグに参加。三段リーグ時代に下記の2つのことで話題となった。 1つ目は、2004年に通算2度目の次点(3位)となり、フリークラスの棋士としてプロ入りできる権利を得た[注釈 1]にもかかわらず、この権利を放棄したことである。10勝6敗からの2連勝で獲得した権利ということもあり思ってもみなかったことだったため、「これでプロになっていいのか」と迷った。まだ16歳の[注釈 2]佐藤に、師匠の中田功は「この歳でフリークラスに行って昇格を見据えた星勘定をするより、三段リーグで同年代のライバルたちと戦うほうがいい」と考え、奨励会残留を勧めたという[4][5]。