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張自忠 - Wikipedia
張 自忠(ちょう じちゅう / チャン・ツーチョン)は、中華民国の軍人。最初は北京政府・国民軍、後に国... 張 自忠(ちょう じちゅう / チャン・ツーチョン)は、中華民国の軍人。最初は北京政府・国民軍、後に国民政府(国民革命軍)に属した。最終階級は陸軍二級上将。日中戦争の際には、中国軍最高位の戦死者となった。勇将として日本軍からも名声が高かった人物である。字は藎臣、のち藎忱。 父の張樹桂は、清末に江蘇省海州贛楡県の知県をつとめていた。1905年(光緒31年)、張自忠は臨清県立高等小学堂に入学する。1911年(宣統3年)に天津法政学堂で学んでいたときに、中国同盟会に加入した。1912年(民国元年)、済南政法専科学校に転入した。 1914年(民国3年)夏、奉天省の新民に向かい第20鎮(中国語版)第39協第87標(団長:車震(中国語版))に加入した。陸軍第二十師随営学堂速成班当初司務長(庶務・炊事班長)であったが、第三十九旅が湖南陸軍第1師に改編され、車震が同師長に昇進すると、それに伴い参謀として重