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足利義輝 - Wikipedia
足利 義輝(あしかが よしてる、1536年3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)... 足利 義輝(あしかが よしてる、1536年3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)は、室町幕府の第13代征夷大将軍(在職:1547年1月11日〈天文15年12月20日〉 - 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)[2]。初名は義藤(よしふじ)[3]。 足利義晴像(古画類聚) 天文5年(1536年)3月10日、室町幕府の第12代将軍・足利義晴の長男として、東山南禅寺で誕生した[4]。母は近衛尚通の娘・慶寿院[4]。幼名は菊幢丸(きくどうまる)と名付けられた[4]。 将軍と御台所の間に生まれた男子は足利義尚以来であり、摂関家出身の女性を母に持つ将軍家の男子は菊幢丸が初めてであった[5]。 誕生直後、父の義晴が近衛尚通に頼んだ結果、菊幢丸はその猶子となった[6][7]。尚通は未来の将軍の外祖父になれたことを喜び、菊幢丸の誕生を「祝着極まりなきものなり
2017/06/14 リンク