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青戸 (葛飾区) - Wikipedia
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、青戸1-5-4の地点で42万1000円/m2、青戸4-... 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、青戸1-5-4の地点で42万1000円/m2、青戸4-5-10の地点で36万2000円/m2となっている[5]。 青戸は古文献において「青津」「大戸」「大津」などと記されることもあり、表記が青戸に定着して以後もしばらく「おおと」と発音されていた。戸は、渡し場・船着場・埠頭つまり湊(水門)のことであり、江戸、水戸、奥戸、松戸、登戸、坂戸、清戸も同じである。このことからも分かる通り、この地は古来、大きな港を抱えた土地であったようである。 正応元年(1288年)、この地を領していた青戸二郎重茂が葛西氏の代官として奥州平泉の中尊寺を訪れた記録がある。また、青戸七丁目の環七通り沿いにある葛西城址(中心部は環七通りが貫いており、わずかに残された部分が御殿山公園と葛西城址公園となった)が鎌倉幕府の引付衆であり、この地を領していた青砥藤綱の