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高畠藩 - Wikipedia
高畠藩(たかはたはん)は、出羽国(後の羽前国)置賜郡(現在の山形県東置賜郡高畠町)に存在した藩。... 高畠藩(たかはたはん)は、出羽国(後の羽前国)置賜郡(現在の山形県東置賜郡高畠町)に存在した藩。ただし、現在の高畠町の全域を領地としていたわけではなく、町の中心部にあった高畠村、小郡山村、泉岡村、塩森村、相森村、柏木目村の6村のみであった。高畠城は上杉氏が管理していたが、織田氏は無城大名格のため、高畠陣屋を藩庁とした。上杉氏は織田領以外の町域を高畠城で統治した。嘉永元年(1848年)から米沢藩領の上杉氏の預り地は、織田氏高畠藩領より広大で、屋代のみでも最大で3万7千石、ほかに村山郡があった。 藩主家は織田氏である。明和4年(1767年)8月、上野国小幡藩主織田信邦が明和事件に連座したため、信邦は幕命により強制隠居の上、蟄居を命じられた。家督は弟の信浮が相続し、小幡から高畠への移封を命じられた。封地としては、上述の高畠の六村と天童など村山郡の一部、信夫郡の一部。なお、この時にそれまでの織田氏