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「本城惣右衛門覚書」のうち本能寺への行軍の部分を読む 2020年11月1日追記あり - 日本中近世史史料講読で可をとろう
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「本城惣右衛門覚書」のうち本能寺への行軍の部分を読む 2020年11月1日追記あり - 日本中近世史史料講読で可をとろう
(前略) 一、あけちむほんいたし、のぶながさまニはらめさせ申候時、ほんのふ寺へ我等ゟさきへはい入申... (前略) 一、あけちむほんいたし、のぶながさまニはらめさせ申候時、ほんのふ寺へ我等ゟさきへはい入申候などゝいふ人候ハヽ、それハミなうそにて候ハん、と存候、其ゆへハ、のぶながさまニはらさせ申事ハ、ゆめともしり不申候、其折ふし、たいこさまびつちうニ、てるもと殿とり相ニて御入候、それへ、すけニ、あけちこし申候、山さきのかたへとこゝろざし候へバ、おもひのほか、京ヘと申候、我等ハ、其折ふし、いへやすさま御じやうらくにて候まゝ、いゑやすさまとばかり存候、ほんのふ寺といふところもしり不申候、人じゆの中より、馬のり二人いで申候、たれぞと存候へバ、さいたうくら介殿しそく、こしやう共ニ二人、ほんのぢのかたへのり被申候あいだ、我等其あとニつき、(以下略) 『新修亀岡市史資料編』第二巻、46~47頁 (書き下し文) ひとつ、明智謀反いたし、信長様に腹召させ申し候時、本能寺へ我等より先へ這い入り申し候などと云う人候