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与那覇潤「中国化する日本」(番外・その2)安富歩「原発危機と「東大話法」」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
前の記事で「風の谷のナウシカ」について考えていて、安富氏の本を思い出した。別に論じるつもりでいた... 前の記事で「風の谷のナウシカ」について考えていて、安富氏の本を思い出した。別に論じるつもりでいたのだが、「原発に反対するひとのある部分はオカルト的なるものを信じている」という部分について、ここで考えてみてみることにした。 安富氏のこの本では、ウラン燃料がそう遠くない将来に枯渇する可能性が高いという説を教えられてびっくりした。エコ運動というのは近い将来、化石燃料には依存できなくなることは確実なので、その食い延ばしのための運動なのだとわたくしは思っていて、そうであるなら《化石燃料に比べればはるかにエネルギー変換効率がいい原子力に頼るしかないではありませんか》というのが原子力発電推進派の大義名分なのだと思っていたので、もしもウラン燃料が化石燃料と変わらないくらいの近い未来に枯渇するのであれば、その前提が崩れてしまうわけである。石油があとどのくらい持つのかについては、少し前に何冊か本を読んだことが
2012/12/06 リンク