エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
清水義範さんが文学における「パロディ」を:活字の学び
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
清水義範さんが文学における「パロディ」を:活字の学び
青山学院大学 読書教養講座 一般公開授業 基調講演 「文学はパロディでつながっている」 本日はパロデ... 青山学院大学 読書教養講座 一般公開授業 基調講演 「文学はパロディでつながっている」 本日はパロディについて考えたい。私自身が行っている、パスティーシュと呼ばれる文体模倣も大きくとらえれば、パロディに入ると思う。 パロディとは簡単に説明すれば、すでに文学作品から、語句、文体、リズム、テーマなどを模倣することだ。つまり、まねをするのだが、物まねすると何だか笑える。 まねをされる対象が、真面目くさっていたり偉そうぶったりしていると、それまで価値のある偉いもののように思っていた権威がひっくり返る。人間は笑おうと思うとき、このような模倣を自然に行ってきた。 一番古いかもしれないパロディと言われているのは、紀元前5世紀に書かれた作者不明の『蛙と鼠の戦争』という叙事詩だ。すごく格好のいいホメロスの『イリアス』の文章で、「そのときこのネズコーはチューチュー鳴いた」と書かれれば変で滑稽だ。 もともと何か