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短歌の「異化」作用とは① - 桑原憂太郎雑記録
今回から、テーマを変える。 「異化」について。 けれど、多分、内容は引き続き「韻文」についての議論... 今回から、テーマを変える。 「異化」について。 けれど、多分、内容は引き続き「韻文」についての議論になると思う。 万葉の時代から現在にいたるまで、いまだに生き残っている五七五七七の定型文芸が、現代でもなお、「短歌」と呼ばれる創作形式として存在する意義があるとするなら、それはもう「異化」作用くらいしかないだろう、と筆者は思っている。 それくらい、短歌の世界では重要なテーマだと思うし、きちんと議論をはじめたら、一年間くらいくらい続けられそうな、広いテーマだとも思う。 「異化」とは何か。 これは、短歌の世界だけの話ではなく、広く文芸一般で使われる用語。というか、芸術一般で使われる用語なのだけど、そこまで話を広げる必要もないので、とりあえずロシアフォルマリズムを起源とする文芸用語という押さえでいいだろう。 簡単にいえば、日常的に見慣れたものが、違ったように見えることを言う。 これを文芸一般にあては