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ゲイはあり、少年愛はなし? - 本と奇妙な煙
自分キチガイ 弱者が「正義」をふりかざす場面 同性愛者の言葉狩り 「痛み」があるから「正義」とはなら... 自分キチガイ 弱者が「正義」をふりかざす場面 同性愛者の言葉狩り 「痛み」があるから「正義」とはならない 「欲望問題」としてみる 欲望実現を訴える自分が「少年愛」を否定できるか? ゲイを認めないのは差別だと強面になるのじゃなく、「男が好き」という欲望が社会から肯定されるように、妥協点をさぐっていけたらいいなという境地に伏見憲明はいかにして到達したか。 欲望問題: 人は差別をなくすためだけに生きるのではない 作者:伏見 憲明発売日: 2007/02/01メディア: 単行本 自分キチガイ ぼくは自分のしていることが正義だと胸を張って言うつもりはない。(略)ゲイだということで差別も抑圧もされるべきではない、というイデオロギーを選択しただけなのだ。(略) 親の思う通り生きなくとも、せめてごまかしつづけてあげるやさしさもあるのではないか、と非難する人もいるかもしれない。しかしぼくは、答えることのでき