SONY ILCE-7, 1.4/50 Summilux, RAW 先日のゼミで、疎空間における教育について議論していたとき、こんな問いが、その場に置かれた。 プラトンが一番怖れていたのは、 無知な市民か? それとも、優秀だが「教育されすぎた」市民か? 一見すると哲学史の話に聞こえるかもしれない。 だが、これは古代ギリシャの話ではない。 むしろ、いま私たちがどんな教育を善だと思っているか、その前提そのものを問う問いだ。 無知は怖いが、思い込みはもっと怖い 議論は自然と二つに分かれた。 無知な市民は、操作されやすく、誤った判断をする。
一方で、よく教育された市民は、全体を見渡し、合理的に振る舞える。 多くの教育論は、後者を善とする。
教育とは、人を賢くし、判断力を高め、社会を良くするものだと。 だが、議論を進める中で、空気が変わった。「教育されすぎた市民」は、
自分が正しいと信じ込んだ瞬間に