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lmnopqrstuの日記
13:34 思想や文学を好んで語る者たちが「責任」についても語りはじめるとき、その議論が果たして的を射... 13:34 思想や文学を好んで語る者たちが「責任」についても語りはじめるとき、その議論が果たして的を射ているかどうか判定する際の有力な基準は、とりわけ日本においては、その「責任」で、裁判ができるかどうか、天皇(と呼ばれている者)の責任を実効的に問えるかどうか*1、という二つの点にある、と私は思う。 以下、タイトルの問題を考える際、有意義だと思われる文章を三つ引用する。 第一に、システム(村上春樹)との関係で 昭和天皇は、記者会見で「戦争責任」について問われたとき、私は生物学者であり、そういう「文学的のこと」を研究していないと答えたそうだ。これは期せずして最大の皮肉となっている。実際、「生物学」がシステム(関係体系)という意味であるならば、今日の日本の言説はほとんど「生物学」的だからである。「文学」でさえそうだ。責任とは「主体」にのみあるのに、主体が不在であるときにどうして責任がありうる
2009/04/14 リンク