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清水穣『白と黒で──写真と……』(現代思潮新社)より その2 - Übungsplatz〔練習場〕
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清水穣『白と黒で──写真と……』(現代思潮新社)より その2 - Übungsplatz〔練習場〕
別の意味でわかりやすい、つまり消費しやすいのがホンマタカシ『東京の子供』(リトルモア、二〇〇一年... 別の意味でわかりやすい、つまり消費しやすいのがホンマタカシ『東京の子供』(リトルモア、二〇〇一年)であろう。この人の『東京郊外』は、「スーパーフラット」な東京郊外のウサギ小屋を、美術界で大流行の「タイポロジー」で撮影して日本写真界に持ち込んだ、企画ものであった。七〇年代に荒木経惟が広告の「リアル」に「私」を賭けたのは、広告ではない自我が辛うじて存在しえたからだが、現在の我々にそのようなものはない。だからかつてラディカルな行為も、今は計算ずくの自己プロデュースにしか見えないのである。つまり、ホンマタカシはホンマタカシのプロデューサーだということだ。アーティストではなく上手なプロデューサーであること自体は、メジャーを目指して自己に適した手段をとることだから批判されるべき筋ではない。しかし、制作からプロデュースから批評まで自己完結した彼の写真を他人が「見る」必然性がどこにあるのだろう。ステレオタ