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文学の読み - 学而不思則罔、思而不学則殆。
上教大の授業に参加させていただいた。授業デザインの授業で、中島敦「山月記」を扱った。話し合いの中... 上教大の授業に参加させていただいた。授業デザインの授業で、中島敦「山月記」を扱った。話し合いの中で「道徳的な読み」というものが出た。改めて、自分自身の文学教育に対する思いを考えた。 僕は文学部出身で、大学時代はテクスト論を学んだ。だから、作家論的な考え方をやたらと忌避していたし、いわゆる「道徳的な読み」もつまらないものと思っていた(今でもそうだ)。だが、教員になって授業をしてみて思ったのは、結局のところ「道徳的な読み」にせよ「道徳的でない読み」にせよ、教師が言ってしまったらどちらも同じだけ価値がないということだ。こちらがいくら論文を読んで「道徳的でない読み」を自分なりに持ってそれを授業したとしても、導いてしまっては元も子もない。子供からしたら「ふーん、で?」で終わりである。最終的には子どもがどう読んだのかが大事であって、その子にはその子のレベルの読みがあるということを大事にすべきだと改めて