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般若寺の唐櫃
般若寺の宝蔵堂に収められている唐櫃(からびつ)。 『太平記』で名高い唐櫃ですが、その伝説の舞台は境... 般若寺の宝蔵堂に収められている唐櫃(からびつ)。 『太平記』で名高い唐櫃ですが、その伝説の舞台は境内の一切経蔵だったと伝えられます。唐櫃ゆかりの大塔宮護良親王のエピソードに迫ってみました。 大塔宮護良親王供養塔。 般若寺境内の片隅にひっそりと祀られていました。右向こうに見えているのが、般若寺の鐘楼です。 大塔宮護良親王は後醍醐天皇の第三皇子に当たります。護良(もりなが)親王はわずか6歳にして、天台宗梶井門跡(京都東山岡崎)にて出家しています。大塔の名前の由来ですが、東山岡崎にある法勝寺九重大塔のほとりに門室を構えたことに因みます。その後なんと、19歳で天台座主に就いたと伝えられます。 元弘の乱で鎌倉幕府軍に追われた護良親王 般若寺の拝観口近くに、「南朝御聖蹟」と記されていました。 南朝と言えば後醍醐天皇を思い出すわけですが、吉水神社の北闕門などはまだ記憶に新しいところです。南朝といえば吉野