エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
自由意志 | 科学的世界観のblog
記述の便宜として、【 世界(客観・客体)=Ⅹ 】、【 私(主観・主体)=Y 】とします。 自由意志とい... 記述の便宜として、【 世界(客観・客体)=Ⅹ 】、【 私(主観・主体)=Y 】とします。 自由意志という場合、少なくとも二つ以上の複数の選択肢があり、そのどれかを自分の判断と責任で任意に選べる、ということが必要だと思います。何らかの法則等によって決定されている場合、そういうことはありえません。私が世界Xの一部であって法則がXを操るとするならば、私は客観世界の法則に縛られています。したがってこの場合には、法則から自由であることが自由の最低条件だと考えます。法則に従う現象に自由がないのは明白です。それは法則に従うのです。Xにおいては、人間も現象です。そう考えるなら、人間は決してXから自由にはなれない、というのが私の意見です。人間も現象としては自由がありません。それは法則に従うのです。客観世界のみを実在と考えるなら、自由意志は幻想です。私は、「客観的な自由(自然現象としての自由)」は、無い、と考
2011/05/04 リンク