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復活!“義足プロレスラー”谷津嘉章 復帰戦の舞台裏
今月行われたプロレスの試合。 リングに向かう谷津嘉章選手。 その右脚を見ると…なんと、義足です。 お... 今月行われたプロレスの試合。 リングに向かう谷津嘉章選手。 その右脚を見ると…なんと、義足です。 おととし糖尿病の影響で右脚を切断した谷津選手はこの日、 “義足のプロレスラー”としてリングに帰ってきたのです。 義足とは思えない動きで様々な技を繰り出す谷津選手。 しかし、途中、義足を攻められる場面も。 ワンダースープレックスが炸裂! さらに技をかけようとしますが… 試合に敗れてしまいました。 □谷津選手 「満足まではいってませんけど、とりあえず今日は元気にこの姿で上がって、 そして、ファンの皆さんにも受け入れてもらったような感じがしますし、 まだまだこんなもんじゃ終われませんよって感じでオリャ!」 谷津選手は1976年にレスリングの日本代表として モントリオールオリンピックに出場。 その後、1980年に新日本プロレスに入団。 アントニオ猪木選手らとともに活躍しました。 そんな谷津選手でしたが