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ラインラボさんが、最近の読書録で 8月2日 『現代思想』2005年8月号が “靖国問題”を特集。奈倉哲三「招... ラインラボさんが、最近の読書録で 8月2日 『現代思想』2005年8月号が “靖国問題”を特集。奈倉哲三「招魂 戊辰戦争から靖国を考える」。を取り上げている。 http://www.linelabo.com/books.htm 最近の読書録 靖国神社の前身は東京招魂社。明治2年(1869)6月に招魂祭をすることにより始まった。1868年1月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の五稜郭の戦闘終結までの戊辰戦争で斃(たお)れた者たちの「魂」を招き、神として祀るための儀式だった。維新政府は内戦に倒れた者を祀ることにより自らの権力を確立していこうとしたのだ。 その日招かれた魂の数は3558。すべて新政府側で戦って斃れた者である。それに対し、旧幕府側で戦って斃れた者たちは、8625名余り。新政府側で招かれなかった「魂」も千人以上いる。これらの「招かれなかった魂」たちがどういった状況、戦いで死んでいったかを、