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書かれることのない映画時評の導入。あるいは、「故郷」の発見。|藤津亮太
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書かれることのない映画時評の導入。あるいは、「故郷」の発見。|藤津亮太
ある映画を見て、これは「原風景=故郷」についての映画という側面がある作品だなと思った。そう思った... ある映画を見て、これは「原風景=故郷」についての映画という側面がある作品だなと思った。そう思ったのは、とても個人的な感慨だから、映画の時評にこのことを書くことはないだろう。これは書かれることのない時評の導入部分なのである。 僕の父は一人っ子だった。さらにいうと祖母の伯父の家から、もらわれてきた養子であった。ややこしいのは、祖母がそれを父にもひた隠しにしていたことだ。詳細は省くが、父が大学進学する折に祖母は、「養子」となっている戸籍を見せた上で、「でもあなたは私が産んだ子だから」と説明したという。もちろん父も、その説明は「苦しい」と思っていたわけだけれど。祖母は、ガンで死ぬ折、枕元で様子を見ていた孫の僕だけに「私は腹膜が悪くて子供ができなかったので、兄のところから子供をもらったのだ」と明かしたのだった。 こんな経緯があったから、祖母の実家の存在感は大きかった。僕の子供時代にはもう実家を守る人