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「古くてもよしの味」-広小路の名古屋ホテル①|りせん
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「古くてもよしの味」-広小路の名古屋ホテル①|りせん
斯くのごとき苦心を重ねた結果英國式ゴチック風にいとも清楚な風格を備え然かも此当時に珍しくも屋上に... 斯くのごとき苦心を重ねた結果英國式ゴチック風にいとも清楚な風格を備え然かも此当時に珍しくも屋上にまで六角型の高塔屋と、更に欄干附の展望を調らえ都合五階建の堂々たる名古屋ホテルが完成し当時の名古屋市に異彩を放つーー『ホテルの想ひ出』より前回の記事で紹介した大阪ホテル。その前身である、自由亭ホテル中之島支店が設置されたのは明治14(1881)年の事でした。その数年後、いよいよ名古屋にも洋式ホテルが出現します。 のちに旅館志那忠本店となる旅館信濃屋を経営していた四代目信濃屋忠右衛門は、明治20(1887)年、富沢町にて「洋式ホテル志那忠(ホテル・ヅ・プログレス)」を開業しました。当時名古屋には西洋式のホテルが無く、人々の話題を呼びます。 このホテルは明治30(1897)年には中村区泥江町に移り、パラス・ホテルと改称しましたが10年余りで閉業となります。 この間、ホテル志那忠に次いで明治28(18