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あれ以来、メロディが聴こえなかった日は一度もない。 1995 - 2021|七尾旅人
横須賀らしい英文の張り紙を見た。フィリピン料理屋。筆跡がかわいらしい。 あけましておめでとうと言い... 横須賀らしい英文の張り紙を見た。フィリピン料理屋。筆跡がかわいらしい。 あけましておめでとうと言いたいけど、むずかしい。感染は拡大し、コロナ初期以上に難しい状況のとば口に立っている。 劇伴RECに明け暮れた昨年とまた違う理由で、今年も正月返上、休みを作れずに過ごす。 無愛想なビジネスホテルで書き仕事をしてる。 リキッドの年越しライブからまだつながってるかんじ。頭はすっかり2021で、もう後戻りできないと感じているが、首から下、身体は疲弊し切っていて、2020に置き去りのままだ。 ただ焦燥感だけがある。 居場所のなかった上京当時、16、7のころと何も変わらない。 元日営業してる飲食店を探して外に出てみれば冷え切ったコンクリートが続いていて、無意味で、容赦がない。 引き続き新しい歌を作る。 1995年、神戸で崩壊した街を目の当たりにしてから、とつぜん我流の作曲を始めた。不登校児だった。あれ以来
2021/01/04 リンク