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パンスの現実日記 2020.7.25|TVOD
1990年代後半ごろ、「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題について盛んに語られていた状況があっ... 1990年代後半ごろ、「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題について盛んに語られていた状況があった。TBSの「ニュース23」という番組での討論で、この質問をした高校生がいた、というのがきっかけとされている。少年犯罪がクローズアップされることが多かった時代で、彼らがなぜ凶行に走るのかという議論のなかで、この問いも投げかけられ、知識人たちを揺るがした。中学生だった僕もメディア上で指定される「少年たち」のなかに入ってしまっているというのもあり、興味深く見ていた。記憶している範囲だと、そもそも「なぜ人を〜」といった疑問を投げかけるような行為自体がバカげているとか、いやそう片付けてしまうのではなく、問いを重く受け止めなければならない、といったタイプの主張があったように思う。 当時はあまり気づいていなかったのだが、いまにして思うと、質問自体がバカげていると考える人の心情についてもそれなりに分かるよ