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森の生活―ウォールデン (講談社学術文庫)
「こうして私は幾日かを過ごし、小さな斧で材木を切ったり、刻んだり、さらに間柱や垂木を伐りだしてい... 「こうして私は幾日かを過ごし、小さな斧で材木を切ったり、刻んだり、さらに間柱や垂木を伐りだしていたのだ。人に何かを語り伝えるようなものなく、また学者のようなさまざまな思考にふけるでもなく、ひたすら自分のために歌をうたっていたのだ。 人々はあまたの事を知るという されど見るがよい! 悉く消え去ってしまったよ---- 芸術作品も、科学の知識も また、あまたの生活用品も。 吹きやまざる風だけが 誰もが知っていることのすべて。」 (ソロー『森の生活』佐渡谷重信訳) こんな歌、歌えない。 これは好みの問題じゃなくて(それを出すとめんどくさいが)、技術的な問題である。ぜったいに斧振り回しながら、歌える歌じゃない(賭けてもいい)。 訳者は、前書きでこう言っている。 「明治期以降ソローは日本に紹介され、神吉三郎訳をはじめすでに数点の翻訳が出版されているが、惜しむらくは満足のゆく内容ではなく、日本の読者はい