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大航海時代に発展したポルトガル海上帝国の歴史について元予備校講師がわかりやすく解説 - Rinto
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8世紀にウマイヤ朝がイベリア半島の大部分を征服してから、北部に生き残ったキリスト教の諸王国は国土の... 8世紀にウマイヤ朝がイベリア半島の大部分を征服してから、北部に生き残ったキリスト教の諸王国は国土の奪還運動を行い続けました。この運動をレコンキスタといいます。レコンキスタによってカスティリャ、アラゴン、ポルトガルといった王国が誕生しイベリア半島南部に勢力を伸ばしました。レコンキスタとポルトガルのかかわりについてまとめましょう。 7世紀、アラビア半島のメディナ・メッカから各地に広まったイスラム教の勢力は周辺諸国や地中海諸国を飲み込みつつ、急速に拡大していました。7世紀後半に成立したウマイヤ朝は東西に征服地を広げます。 ムハンマドがイスラム教を起こしてからほぼ100年後の711年、ウマイヤ朝の軍勢はジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に攻め込みました。イベリア半島をおさめていたのはゲルマン系の西ゴート王国です。 西ゴート王国ではこのころ内紛が続いており、ウマイヤ朝に対して一致団結して戦える状態