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母は、北海道の美瑛という町の農家に生まれた。貧しさゆえか「農家の仕事だけはいやだ」といって、尋常... 母は、北海道の美瑛という町の農家に生まれた。貧しさゆえか「農家の仕事だけはいやだ」といって、尋常高等小学校を卒業後、自転車で3里(12キロ)も離れた町の洋裁学校に通い、技術を身に付けたという。 私たちの子どもの頃はまだ、既製服の種類は多くはなく、子どもも大人もお金持ちも貧乏人も、布地を買って洋服をつくるのが当たり前の時代だった。母は洋裁の内職で父の安月給を補い、我が家の家計を支え続けてきたのである。その腕はかなりのもので、子ども服や婦人服はもちろん、街では有名なヤクザの大親分のスーツも仕立てた。仕事はいつも名指しできていて、町の腕利きテーラーさんから仕事を頼まれることもあった。 父が泊り勤務のときは、茶の間は母の作業場と化した。洋裁道具や大きな生地をばっとひろげて、裁断をしたり、纏ったり、縫ったり。ときには長い時間、物音一つ立てずに針仕事に専念し、また、時々はバタバタバタッと大きな音をたて