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相模原の照手姫伝説
日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースな... 日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースなど様々です。相模原市に町名として今でも残っている地名にも、歴史ある地名があります。 横山、小山、矢部、田名などの地名の由来を調べていくと「横山党」の存在がわかりました。 淵野辺の地名には「淵辺氏」などが関与していたのかも知れません。 相模原では美女谷温泉や、横山段丘崖(だんきゅうがい)沿いに照手姫(てるてひめ)の伝説が残っています。 まず始めに相模原市横山の地名の由来になった「照手姫伝説」からご紹介します。 上溝の照手姫(てるてひめ)の話 照手姫の乳母であった日野金子という人が、現在の上溝・日金沢(ひがんざわ、彼岸沢とも書く)に住んでいたと言われ、その日金沢の上段の横山台地に横山将監という豪族の館があり、女の子が生まれました。 女の子は照手姫と名づけられて、それはそれはきれいなお姫様に育ちました