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上杉謙信と六角義堯
上杉謙信は六角義堯の要請を受けて織田信長包囲網に加わった。それまでの謙信は、武田信玄との対抗上、... 上杉謙信は六角義堯の要請を受けて織田信長包囲網に加わった。それまでの謙信は、武田信玄との対抗上、信長と友好な関係を保っていた。足利義昭と信長が対立しても、謙信は信長と結び信玄の背後を脅かした。謙信は十三代将軍義輝には心服していたが、その実弟義昭に対しては異なっていたようだ。しかし義堯が協力を要請したことで、それまでの態度を一転させて反信長陣営に加わった。謙信が義堯に全幅の信頼を寄せていたことが分かる。続群書類従本伊勢系図別本(巻百四十一)の伊勢貞孝の項にあるように、足利義輝の男子が六角氏の養子になっていた可能性も否定できない。 まず最初に、謙信の奉行人河田長親の子孫河田文子氏(福島県福島市)に伝えられた義堯書状(18)を見てみよう。この義堯書状は、義堯と上杉氏の初期の交渉を伺わせる。 其以後不得便風候間、無音非本意候、其地雖為変化、誠ニ堅固 之由、無比類儀、於義堯大慶候、連々如申、向後弥御